Quarterly Plus No. 19

『I-House Quarterly』の誌面でご紹介しきれなかったコンテンツを掲載しています。今号では米国人作家のバリー・ユアグロ―氏が、アイハウスでの滞在にインスピレーションを受けて執筆した短編小説をご紹介しています。※誌面で途中までお読みいただいた方、続きはこちらです→

「鯉の知恵」  by バリー・ユアグロー

ある男がアイハウスで一夜を過ごす。風通しが良い心地よく水平に広がる空間の、障子に区切られた部屋に彼は歓喜する。たそがれ時、バルコニーに出た男は感極まる。眼下には江戸の趣きをたたえた日本庭園があり、滑らかなもの、丸いもの、ぼうぼうとしたものを配した眺めが広がる…岩でごつごつした鯉の池のほとりには石灯籠がいくつか。

どうしてここを離れて、普通の生活に戻れよう?
真夜中、彼の苦悩は増大する。もはやここのどこかに隠れるしかないだろう。しかも永遠に!

でもどこに?

男は寝ているガールフレンドに、こそこそとメモを書き残し、パジャマのまま庭へ抜け出す。

月光に照らされた景色を見ると頭がくらくらする。彼は木の茂みに身を隠そうと小道を歩き始める。すると突然、ここは夜にコウモリが出ると何かで読んだことを思い出す。男は立ち止まる。彼はコウモリが大嫌いなのだ。恐怖に襲われ、鯉の池のほとりに灯籠に向かって小走りする。そうだ、ここに隠れよう。水の中だ。アイハウスのレストランの屋根が突き出した陰のあたりに。

池の中はひんやりしている。男は身を隠した水の中から頭だけ上に出して目を輝かせる。

橙と白の鯉たちがすり寄ってくる。「何やってるんだよ?」1匹が男にそう尋ねる。

男は目をパチクリさせる。

「この池は俺たち魚のためにあるんだよ、な?」ともう1匹が言う。

「ぼ、僕は、僕は、ただここに隠れてるだけだよ。この素敵な場所から離れなくて済むように」

男はどもりながらそう答える。「君たち、喋れるの?」

「そりゃそうだよ」1匹目の鯉が鼻先で笑いながらそう答える。「どこから来たんだい?」

「ニューヨーク」男は小声で言う。当然ながらいささか呆然としている。

「ニューヨーク!」とその鯉は叫ぶ。「ヤンキー・スタジアムに戻りたくないっていうのかよ? ゴー、ヤンキース!」

「戻りたくない。そもそも僕はヤンキースのファンじゃないし」と男は鯉たちに伝える。

「それより俺たちの桃山風の庭の方がいいんだよな!」と1匹目の鯉が言う。

「そうだね!ただこの庭は江戸風だよね」少し学者ぶったところがある男はそう言う。

「違うね。桃山だよ」

「まあ、言い合いはよそう」男は言う。

「面白いよな」と2匹目の鯉が言う。「ここの建物を設計した3人の大物建築家もこの池に隠れようとしたんだよ。あとコルボゼもここを訪れた時にそうしたよね。インターナショナル・スタイルの巨匠さ」

「そうだよね。でもコルボゼじゃなくてコルビュジエだよ」と男は訂正する。

「でもみんな出ていくしかなかった」と1匹目の鯉が言う。「だってこの池は魚のためにあるんだから!」

「でも僕はこの美しいアイハウスから離れたくないんだよ・・・」と、男はめそめそする。

「写メを撮ればいいじゃない」と2匹目の鯉が言う。「あとで懐かしむ良い思い出にさ」

「でももし俺たちと一緒に自撮りしたら、あと2、3日はいてもいいよ」と、甲高い声で3匹目の鯉が言う。

「え、ほんと??」

「何やってるのよ?」とガールフレンドはぼやく。「うるさくて起きちゃったじゃない!」

「魚と一緒に自撮りするんで携帯電話を探してるんだよ」と男は暗い部屋のなかで必死に探しながら答える。

「正気なの? びしょ濡れじゃない!」とガールフレンドは叫ぶ。

携帯電話は見つからず、男は取り乱す。「僕はとにかくここを離れることが耐えられないんだ」そう言ってすすり泣く。

「気持ちはわかるけど」とガールフレンドは言う。「でも沢山写真を撮ったんだから、あとで懐かしむ良い思い出になるじゃない」

男はぎょっとして「ほぼ同じことを魚にも言われたよ」と言う。

「何でもいいけど、ヤンキースのファンと一緒に自撮りしたいわけ?」と彼女は尋ねる。

男は目を丸くして「なんで彼らがヤンキースのファンだってわかったの?」とささやく。

「みんな知ってるわよ」と彼女は言い、「体を拭いてもう寝なさいよ。起こしてくれちゃってさ」

そうして彼女はあくびをして枕を抱き寄せ、目を閉じ、男はわけがわからないまま取り残される。

Photo credit: Anya von Bremzen

バリー・ユアグロー

「いつもどんな夢を見たかを思い出すことができないが、その代わりにユアグロー氏の物語がある」

デヴィッド・バーン(アーティスト)

写真:バリー・ユアグロー
©Charles Raban

シュールで奇妙かつ愉快な超短編で知られる作家・パフォーマー。南アフリカ生まれ。主な著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』(新潮文庫、1999年)や『ケータイ・ストーリーズ』(新潮社、2005年)があり、『セックスの哀しみ』 (白水uブックス、2008年)においては映画版に自らも出演している。最新作は片づけられないことに焦点を当てた自叙伝『Mess』(W.W.Norton & Co, Inc., 2015)。他にも子供のためのアンチ子供本『たちの悪い話』(新潮社, 2007年)も出版。日本語への翻訳版の多くは柴田元幸氏が手掛けている。その他の活動として、パフォーマーとしてMTVやラジオに出演。劇場用にアダプテーションした『憑かれた旅人』で、サンダンス・シアター・ラボに招待され、アメリカのへヴィメタルバンド・アンスラックスのミュージックビデオにも出演している。
 ユアグロー氏の物語は雑誌やアンソロジーにも収録されており、『ニューヨーク・タイムズ』や『ニューヨーカー』ウェブ版、『ウォール・ストリート・ジャーナル』、『スピン』、『パリス・レビュー』、『ニューヨーク・レビュー・デイリー』、『朝日新聞』などに寄稿している。現在はニューヨークとイスタンブール在住で、頻繁に世界を旅してまわっている。

  • バリー・ユアグロー公式ウェブサイト