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Quarterly Plus


『I-House Quarterly』の誌面でご紹介しきれなかったコンテンツを掲載しています。

「多くの贈り物」 槇 文彦

私が初めて国際文化会館(アイハウス)を訪れたのは1958年。グラハム基金のフェローとして世界建築漫遊の旅に出る準備のために米国から帰国していたときであった。正確にいうならば、当時は会館敷地の奥にあった二つの邸宅の一つである松本重治邸を訪れたというべきだろう。現在私の妻である操(*重治氏長女)も両親と一緒にそこに住んでいた。後に義父となる重治が、食堂に私を案内してくれて、そこで会館自慢のローストビーフをごちそうしてくれたのを今でもよく覚えている。

最も思い出深い出来事は、ロックフェラー夫妻の来日に合わせて、庭続きのロビーで婚約披露のレセプションを開いたことであろう(写真)。両家の知人、多くの方々に出席していただいたが、私の大学の友人たちは「あのとき、誰々に会った」と私よりもよく覚えていて、こちらが驚くことが今でもある。

そして何よりだったのは、松本家を介してアイハウスの設計にあたった前川國男、坂倉準三、そして吉村順三という巨匠たちの知己を得たことであろう。当時まだ一介の建築家の私と彼らとの出会いは、後の建築家人生をどんなに豊かにしてくれただろうか。私が留学したハーバード大学の恩師ホセ・ルイ・セルトは1930年代、前川、坂倉と共にパリのル・コルビュジェの事務所で働いていた。そんな縁から私が日本人建築家ということだけで一段と親しみを感じてくれていた。同じくハーバード時代には、アイハウスの招待で来日したウォルター・グロピウスの自宅を訪問する機会を得たりもした。

ここはよく知られているように、かつて岩崎邸があったところであり、たまたま会館でお会いした元慶應義塾塾長の鳥居泰彦さんのお話によれば、「昔は鳥居家もこの付近にあり、だから鳥居坂というのです」と教えていただいた。今の六本木ヒルズの庭園も毛利邸があったところだそうだから、恐らくこの周辺は静かな屋敷町であったに違いない。鳥居坂の坂を下りた向こう側、暗闇坂の途中にあるオーストリア大使館、また六本木ヒルズのテレビ朝日はたまたま私が設計した建物なので、その打ち合わせの後、よく昼食にもアイハウスを利用していた。

そんなことで、アイハウスは私の人生の中で多くの贈り物を与えてくれた存在だといってよい。今でも昔のままの美しい庭園を見ていると、こうした数々の思い出が波のように打ち返してくる。                  

*事務局注

(左より:小泉信三、ジョン・D・ロックフェラー三世、松本洋、ブランシェット・ロックフェラー、槇 文彦・操夫妻)

槇 文彦(建築家)

1952年東京大学工学部建築学科卒業後、渡米し、ハーバード大学大学院修士課程を修了。帰国後の1965年に槇総合計画事務所を設立。ヒルサイドテラス、スパイラル、幕張メッセ、MITメディアラボ新館など国内外で多くの作品を手がけてきた。1993年に「建築界のノーベル賞」とも言われる米国プリッカー賞を受賞。2013年11月には、ニューヨーク・ワールドトレードセンター跡地に高層ビル「4 ワールドトレードセンター」が竣工した。