(対談)河瀨 直美氏 × 松岡 正剛氏
「奈良から世界へ」

映画を通して、奈良や日本の美しさを世界に広げようと2010年に始まった「なら国際映画祭」が、9月12~15日に開催される。開催に先がけ、奈良を舞台に多くの映画を撮り続けてきた河瀨直美氏と、東アジアの今日的課題を奈良から発信する情報誌『NARASIA Q』の総合編集を務めた松岡正剛氏が、千年もの昔から世界とつながる奈良の普遍的な魅力について語った。

[2014年4月]

河瀨 直美(かわせ・なおみ)/ 映画作家、なら国際映画祭実行委員長
1969年生まれ。生まれ育った奈良を舞台にした映画『萌の朱雀』が、1997年カンヌ国際映画祭の新人賞(カメラドール)を受賞し、その名を世界に知らしめた。2014年カンヌ映画祭に出品された最新作『2つ目の窓』は大ヒット上映中。10月からはフランス全土100館で公開されるほか、世界各国にて公開を控える。Twitterアカウント@KawaseNAOMI

 

松岡 正剛 (まつおか・せいごう)/編集者、編集工学研究所所長
1944年京都市生まれ。歴史的観点から見た奈良とアジアの関係に造詣が深く、2010年に奈良県を中心に行われた平城遷都1300年記念プロジェクトの企画や、情報誌『NARASIA Q』の総合編集を務めた。2000年2月に連載を開始した書評サイト「千夜千冊」は、14年7月で1550回を数える。

 

今も息づく万葉の世界

河瀨:映画を撮り始めてから、もう25年になります。最初の劇場映画となった『萌の朱雀』は奈良の西吉野にある日本家屋を借りて撮影しました。そのとき初めて気づいたのですが、日本家屋は周りの景色を本当に上手に取り入れています。

松岡:そもそも奈良というのは景色のサイズがいいよね。天(あま)の香久山(かぐやま)や畝傍山(うねびやま)といった大和三山にスズメが飛んでいるだけでも、万葉に詠まれている風景そのものだし、「ついばむ」、「草もゆる」といった大和言葉の風景もそのまま残っています。借景といえば、実際のビジュアルなものだけではなく、まさぐって分かる借景、つまり知覚、音から来る借景もある。

河瀨:小津安二郎さんが撮った『東京物語』の風景は100年もたっていないのに、もう東京のどこにもないですよね。もちろん変容することも価値であり魅力でもありますが、奈良は変わらない。それが素晴らしいことだと思います。ただ、これだけの古い地域で、新しいことをやろうとすると、とってもハードルが高い。初めて奈良で映画を撮るときには、反対されるというより「できるものならやってみな、できるわけがない」と言われました。

松岡:奈良というのは、同じ関西圏の京都や大阪と比べても、見た目の刺激量がはるかに少ないから、堆積した時間の奥から魅力を引っ張りださないといけない。つまり、多少の知識やそれなりの「思い」がないと、奈良は退屈に見えてしまう。一方、行政やビジネスは、千年前を商売にしても、もうからない。両者の意識の間に相当ずれがあるのは当たり前。資金集めから、故郷への思いから、映画づくりからすべてを一人でやろうとすれば、そりゃ四面楚歌が当然でしょう。よくやっていると思いますよ。

河瀨:私、体育会系なんですよ(笑)。学生時代にバスケットボールをやっていて根性だけはあるんです。「指先に触れるボールはすべて捕れ」と、コーチにかなり無茶なことを言われました。でも一歩踏み出せば、キャッチできる可能性はゼロではなくなります。人と人との出会いも同じかもしれません。出会うことさえできれば、関係性を構築していくすべがあるのではと思っています。

大仏建立はクラウドファンディング?

河瀨:四面楚歌のときに、奈良公園内の浮見堂で月の満ち欠けを見ていると、「きっと誰かが応援してくれるはず」という気持ちになれるんです。その誰かというのはここに新しい国をつくろうと思った古代の人。私は別に高貴な人でも何でもないですが、新しいことをするとき、何かを始めようとするときは皆同じです。たとえ聖武天皇でも、一人の力ではどうにもできない。これは、人間の持つ宿命のようなもの。でもそんな一人の思いから、あの立派な大仏を建てることができた。これが人間のすごいところでもあります。そうそう、先日とある人から「大仏建立は、千年前のクラウドファンディング」と聞いて、なるほどと思いました。

松岡:昔の言葉でいえば「勧進」だね。大仏建立のときは「知識結(ちしきゆい)」も動きました。僧侶が各地を遍歴しながら説法を行い、人々からの寄付で大きなプロジェクトを実現させるという手法は、現代のクラウドファンディングに通じるものがある。

「まほろばの国」なんて聞くと、時の流れがゆったりしたように感じるけれど、奈良時代の日本は、実は相当ラジカルで高速だった。大仏建立だって、完成までわずか7年くらいで勝負をつけている。明日香から、浄御原(きよみがはら)、平城京、長岡京、平安京…。7年で国を変え、都もぱっぱと移している。それに比べて、今は一つのことをするのに20年もかけて、本当にばかみたいだね。

それから新人登用を絶対に恐れなかった。東大寺の初代トップ(別当)になった良弁(ろうべん)は、金鐘寺(こんしゅじ)というまったく無名のお寺で、一風変わったお経を唱えていた変な坊さん。そういう人を採用した。大仏建立の実質上の責任者として招聘された行基(ぎょうき)も、今でいえば町のNPOのリーダーでしょう。

「千年のアーカイブ」

河瀨:地元奈良で立ち上げた「なら国際映画祭」は今年で3回目を迎えます。先日スタッフたちが集まり、各人が思った言葉をホワイトボードに書いていき、「千年のアーカイブ」を今年のテーマとしました。イメージは奈良時代の宝物が眠っている正倉院のあの大きな扉とその鍵です。

正倉院では、今でも年に1回、皆が立ち会いのもとで大きな鍵を使って扉を開け、中の空気を入れ替える「開封の儀」というものが行われます。中にある宝物は、はるかかなたシルクロードを経てもたらされたものばかり。それがなぜそこにあるのか。ここに国をつくろうという多くの人の思いがあったからですよね。そうした思いや歴史がそのままの状態で眠っていて、それを開く鍵を持つのは、今を生きる私たちなんです。

映画祭の目玉に、「奈良」と「ナラティブ(物語)」を掛け合わせたNARAtive(ナラティブ)というプログラムがあります。前年度にグランプリを取った若手監督に、奈良を舞台に映画を撮影してもらうものです。今年の映画祭では、韓国のチャン・ゴンジェ監督による、花火の発祥の地といわれる篠原村を舞台にした作品『ひと夏のファンタジア』を紹介します。映画という新しい文化をフックに、千年守り続けたものをオープンにし、奈良が培ってきた素晴らしい文化を世界につないでいきたい。そんな思いで日々準備にあたっています。


韓国のチャン・ゴンジェ監督による『ひと夏のファンタジア』では、地元奈良の人々が撮影に協力した。©NARAtive 2014
 

アジアの終点としての奈良

松岡:それにしても河瀨さんは多くの映画賞を受賞していますね。

河瀨:2009年のカンヌ映画祭で、女性初、アジア初の「黄金の馬車賞」をいただきました。そこで初めて私ってアジア人なんだという意識を持ちました。ヨーロッパにとってみれば、日本も韓国も中国も同じアジアなんですよね。

松岡:アジアとは、エコロジーやエコノミーの語源でもある「オイコス」から来る概念です。西洋から見れば、アジアというのは「ブルータル(野蛮)だけど活力がある」存在。普段はやっかいもので地下に封じ込められているが、パラダイム転換のときには必ず姿を現すと考えられている。キリスト誕生のときにやってきた東方三博士が、そのいい例だね。奈良時代の日本人は、そんなアジアをどのように感じてきたのか。われわれ今の日本人が忘れている奈良から見たアジア=NARASIAについて、もういっぺん学習したほうがいい。

河瀨:映画祭でも、アジアの価値観というものを世界に広めていけたらと思っています。Yes/Noではなく多様性を持つ世界のほうが、平和というか「豊か」ですよね。そんな価値観です。

奈良に住む人は「こんな何もない所」と言いますが、二上山(にじょうざん)に沈む夕日は世界一ですよ(笑)。「何もない」ところが、外の人から見れば、素晴らしいということはよくあるんです。

映画というのは、スクリーンに映ったものがすべてではありません。人の心のありようといった、見えないものも映し出す力を持っています。私は、これからも独自の文化を持ち、地に足をつけて暮らしている人々を紹介していきたい。同時に、日本人として継承してきたものを、次世代に伝えていけたらと思います。

 


2014年4月18日に開催した特別対談『奈良から世界へ』より抜粋。当日の動画は、国際文化会館ウェブサイトで公開中。

撮影:相川 健一
©2019 International House of Japan


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