毛 丹青氏が語る
「親日でも反日でもなく、日本を知る」

冷え込む日中関係をよそに、いま中国で日本の文化やライフスタイルを紹介する月刊誌『知日』が売れている。制服、住宅、日本の禅、断捨離など、毎号一つのテーマに絞り、日本のありのままの姿を紹介しているのが特徴だ。主筆を務める、作家で神戸国際大学教授の毛丹青氏に、『知日』の躍進が示唆する日中交流の可能性について聞いた。

[2013年12月]

毛 丹青(まお・たんちん)/作家・神戸国際大学教授
1962年北京生まれ。北京大学卒業後、中国社会科学院哲学研究所に入所。25歳で三重大学に留学し、後に商社勤務などを経て執筆活動を開始。日本での生活体験をつづった『にっぽん虫の眼紀行』(法藏館 1998年)で神戸ブルーメール文学賞を受賞。中国語の著作も多く、日中双方の文壇で活躍している。

 

―月刊誌『知日』が日中両国で話題を呼んでいます。あらためて創刊の背景をお聞かせください。

『知日』は文字通り「日本を知る」という意味ですが、そもそも僕は、中国人はもっと相手を知ろうとすべきだと思っているんです。中華思想には良い面もありますが、悪い面もある。例えば、あまりにも自分が偉いと思い込んでいて相手のことを見もしない。そういう姿勢は決して良くはありません。こうした考えのもと、15年前に『にっぽん虫の眼紀行』というエッセーを執筆しました。タイトルの通り、日本の何気ない日常を虫のように小さな目線で見つめた作品です。この本の中国語版を読んだ一人の青年との出会いが、『知日』創刊のきっかけとなりました。

編集者だった彼は、僕のエッセーに感銘を受けたと言って、2008年に北京で行った僕の講演会に来てくれたんです。そして「いま中国には、日本の小説やファッション、音楽、アニメなどが数多く入ってきているが、全体を文化として紹介するものがない。そんな雑誌を一緒に作りませんか」と言ってきた。その青年が、現在の編集長である蘇静(スジン)君です。

―創刊当時の2011年は、前年の尖閣諸島沖での漁船衝突事件をめぐって、日中が緊張関係にありました。なぜ逆風の中で創刊に踏みきったのでしょうか。

タイミングは非常に重要だと考えていました。構想が持ち上がった2008年に創刊していたら、おそらく失敗していたでしょう。当時は北京オリンピック一色で、日本どころではありませんでしたから。そこで蘇静君とアイデアを温めつつ、最適な時期を狙っていました。そして起きたのが、2010年秋の漁船衝突事件です。日中関係に一気に緊張が走り、中国で大規模なデモが発生しました。日本ではメディアが中国のネガティブな映像を洪水のように流していた。これはチャンスだと思いました。なぜなら、あることをたたえる者がいれば、必ず反対する者がいる。逆に反対する者がいたら、必ずそれをひっくり返そうとする者が出てくる。マーケットのメカニズムと同じです。ですから、盛大に立ち上げたのです。

―どんな人がこの雑誌を読んでいるのですか。

われわれがターゲットにしているのは、ずばり18~35歳の若者です。この年齢層は家庭を持っていない人が多いですから、本を読む時間的余裕があり、同時に日本文化を貪欲に消費している世代です。実際、2013年8月に上海で開催されたブックフェアでは、『知日』ブースを訪れた約千人全員が若者でした。北京で暮らす蘇静君はちょうど読者世代であり、彼らの関心事を非常によくつかんでいます。そこにありのままの日本文化、ライフスタイルを当てはめていくのが僕の役割です。


月刊誌『知日』は一部35元(日本円で約590円)。決して安くはないが、販売部数は月平均5~6万部、「マンガ」の特集号は50万部を売り上げた。
 

―2013年10月発売の「マンガ」特集号は50万部を売り上げたそうですね。それほどまでに売れる理由は何でしょうか。

理由はいくつかあると思います。一つは、読者ニーズをきちんと分析できていること。いま日本の何を特集すれば中国読者に受けるのか、それを常に意識しています。

もう一つは内容の濃さです。『知日』では、一つのテーマについてその全体像がつかめるような作りを心掛けています。例えば「マンガ」特集の場合、各出版社やマンガ家の立ち位置を体系的に紹介しているほか、大手出版社のマンガ編集者へのインタビューや、中国人の著名なマンガ家による批評なども掲載しています。巻末にはインデックスも付けて、これ1冊で日本のマンガ界が分かる「事典」のような構成にしているんです。単発的な紹介ではなく、多くの情報とそれらを束ねて見せる力があるのがわれわれの強みですね。

―『知日』には広告が一切入っていませんが、これには理由がありますか。

広告まみれの雑誌はブランド価値が下がります。しかも、日本のことを紹介する雑誌にトヨタやソニーの広告があってはならない。これが僕の主張であり、『知日』が売れたもう一つの大きな理由だと思います。つまり、中国人による中国人のための日本文化紹介の雑誌だということを、はっきりと打ち出しているのです。

広告に限ったことではありません。冒頭ページの執筆陣リストには、僕をはじめとする中国人名が並んでおり、一目で中国人が作った雑誌であることが分かるようになっています。もしこれが日本人の視点で日本人によって作られたものだったら、これほど受けなかっただろうと思います。

―たしかに、『知日』のアプローチは政府による文化広報などとは全く違いますね。

国による広報はどこか人工的ですが、われわれがやっているのはまさに野生そのものです。市場という名の「光」と、読者という名の「水」があって、初めて雑誌の命が育まれている。出版自体はあくまでビジネスの世界ですから、日本のさまざまな話題をいかにして中国人読者のニーズにフィットさせるかの勝負であり、そこには日本人が気付かないような視点が必要になります。日本文化を「理解する」というより、むしろ「消費する」という発想なんです。

では完全に中国人目線の雑誌かと言えば、そうではない。巨視的な目線をやめて、日常にある小さなことに目を向けるというのは、いわば非中国人的な精神の持ち方なんですが、あえてそこを表現しているのが『知日』の特徴です。ですから、日本人自らによる広報との違いは言うまでもなく、日本文化に対する従来の中国式アプローチと比べても、一味も二味も違うものになっていると思います。

―中国人の多くは、毛先生がおっしゃるような「虫の眼」では物事を見ないということですか。

はい。むしろ「龍の眼」のようです。龍はもちろん架空の動物ですが、大上段に振りかぶって空の上から物事を見下ろすような生き物ですよね。僕自身、来日する前は書物から得た知識をもとに、「国家論」など大きなことばかりを論じていました。

しかし、日本の日常を経験する中で、虫のように地を這い、小さな目線でじっと観察することで初めて見えてくるものがあると気付きました。僕が日本文化に強く魅かれた理由の一つに「職人気質」があるんですが、地に足を着けてひたむきに何かと向き合うという姿勢は、「虫の眼」という僕の発想に大きな影響を与えており、ひいては雑誌『知日』のコンセプトへとつながっています。小さな視点から見る日本は、決して完全な光景ではないかもしれないけれど、そこには真実が存在していると思うんです。『知日』の成功は、僕のこうした考えに共感してくれる若者が中国にも大勢いるということを証明するものであり、それは大変意義深いことだと思っています。

―中国の若者たちの日本に対する考え方が変わりつつある、ということでしょうか。

反日の規模と比べたら、日本を知ろうという動きはごく小さなものに過ぎません。しかし重要なのは、反日感情が強いと言われる中国でも、日本のことをもっと知りたいと考えている人たちがいるということです。小さな勢力でも、地道な努力を積み重ねることによってやがては大きくなっていきます。一足飛びにはいきませんが、『知日』も健全な思想の醸成に貢献することができると信じています。

僕は、中国の若者にとって日本を知ることは智恵になると思っているんです。表紙のロゴを見ると分かる通り、「知日」の2文字を縦に並べると「智」という漢字になりますね。このロゴにはそうしたメッセージが込められています。中国人、特に若い人たちが、日本人の暮らしぶりを通してその思想を知ることは非常に重要なことです。日中の間にはさまざまな問題がありますが、慌てず騒がず落ち着いて相手の文化を見つめていくことが必要です。

―日中両国の交流を深めるためには、日本側の努力も不可欠です。毛先生が日本の若者に期待されることは何でしょうか。

神戸国際大学の学生の間で、僕から学んだことを通して「中国を知る」雑誌を作ってみようという企画があるそうです。対中感情が過去最悪と言われる中、「少しでも相手の国を知ろうじゃないか」という若者が日本にもいることは、日中両国をつなぐ役割を担ってきた僕にとっては大変喜ばしいことであり、心強く感じます。

中国の目の前には、日本文化という、とてつもなく力のある文化資源がある。逆に中国文化だって決して捨てたものではない。中国にも非常に優秀な文化があります。日中両国の若者が互いの文化を消費し、それが自分の身となり、やがて智恵となっていく。そうしたことが近い将来に実現されることを期待しています。
 

2013年末には『知日』初の読者ツアーを企画、ネット番組の配信も始めた毛氏。2014年には日本語学校の開校も予定しており、活動の幅を広げている。

 


このインタビューは2013年12月10日に行われたものです。

聞き手:降旗 高司郎(国際文化会館常務理事)
撮影:篠原 沙織
©2019 International House of Japan


その他のインタビュー・対談記事はこちらへ。