(対談)宮津 大輔氏 x 南條 史生氏
「現代アートで見る、アジアと日本」

難解で敷居が高いと思われがちな現代アート。実は経済や政治と深く関連していて、少し掘り下げると社会や文化のさまざまな側面が見えてくる。日本を代表するキュレーターとコレクターであるお二人に、それぞれ異なる立場から現在のアジアと日本のアートシーンについて語っていただいた。

[2015年3月]

南條 史生(なんじょう・ふみお)/森美術館館長
1949年東京都生まれ。森美術館館長、キュレーター。大手銀行、国際交流基金を経て2006年より現職。世界有数の美術展でコミッショナーやディレクターを歴任。2007年、これまでの美術を通じた国際交流の功績により外務大臣表彰を受賞。近著は『アートを生きる』(角川書店、2012年)。
宮津 大輔 (みやつ・だいすけ)/アート・コレクター
1963年東京都生まれ。アート・コレクター 。一般企業に勤めながら収集した美術品はおよそ400点。2011年以降台湾や韓国で大規模なコレクション展が開催される。国内外の国際美術展や美術館で講演多数。京都造形大学客員教授も務める。近著は『現代アート経済学』(光文社新書、2014年)。

 
文化の担い手となるコレクター

南條史生: 宮津さんは、自宅をアーティストと共同で建てたんですよね?

宮津大輔: 僕は普通のサラリーマンですから、何千万円もの作品は買えません。だったら、家をアート作品にしてしまえば作品の中に住むことができるし、一石二鳥だと思ったんですよ。家の設計自体はフランスのドミニク・ゴンザレス=フェルステルさんに、草間彌生さんには鏡、奈良美智さんには襖絵を、他にも親しい作家たちに家の一部となる作品を依頼しました。十数年も前だからできたわけで、今では難しいと思います。僕は特別裕福ではないから、他の人よりも早く良いアーティストに出会わないといけないんですよ。アート作品は僕にとって恋の対象のようなものなので、ずっと傍にいたいと思って収集していますが、一方で才能ある若手作家が活動していくために、作品を購入することで少しでも力になりたいとも考えています。


草間彌生による鏡 (撮影:Takeda Yosuke)


ドミニク・ゴンザレス=フェルステルとともにデザイン・設計した自邸 (撮影:Takeda Yosuke)


奈良美智による襖絵 (撮影:Takeda Yosuke)

南條: 日本には作家を支援するための公的な制度もあるけれど、その中のルールが創作活動を規制してしまっている場合もある。だから作家を一番自由にするのは、作品を買ってあげることで、それが評価にもつながると思います。オーストラリアやカナダ政府のようにアートバンクを作って若い作家の作品を精力的に買い、政府庁舎や企業に貸し出す例もありますね。

宮津: 日本は中国、台湾、インドネシアなどに比べてコレクターの数が極端に少ないですよね。昔は松方幸次郎さんや石橋正二郎さんのような有能な経営者の多くが、当時の最先端アートだった印象派の作品などを購入していました。でも今の若い年代の富裕層にそういう人は少ない。「茶道やらずは財界人ならず」のような価値観もなければ、石橋さんのように国立美術館の建物を寄付したりするといった、文化の担い手になるという意識も薄いような気がします。第二次世界大戦を挟んで教育が変わり、皆同じを良しとする平等主義になったことで、そういう日本人の良い所までも失われたのかもしれません。そもそも、人と違うことを面白がるのがアートですからね。

南條: 70年代のオイルショックと90年代のバブル崩壊の時、アートで大損した人が多いから、美術品の購入に不安を抱く人が多いのかも。アートには根本的に資本主義的なところがあって、まだ評価が定まらない作家をお金持ちが支援する構造が必要な部分がある。国が公的なお金を使って支援しようとすると、その作家を支援することは妥当なのかという議論になってうまく進まないことが多いから、自分でお金の使い道を即決できる資産家がアートシーンで勢いを持つ国は、新しいアートが育ちやすいということでしょう。

過熱するアジアのアート市場

南條: その点アジアの発展途上国では、アート市場が盛り上がっているよね。アジアにも欧米と同じような現代アートの動きがあるということに気付いた人たちによって、国際展もアジアに目を向けるようになった。そして中国からインド、中東という大きな市場の流れが生まれて、今はインドネシアが熱い。面白いのは、インドネシアの美術館はろくに機能していないのにコレクターがたくさんいて、個人のお金がアートを支えているということです。お金持ちは公的なものに頼らず、自分の好きなものを買い集めて、自宅の庭に美術館を建てている。つまり制度を自分たちで作ってしまっているんですね。逆に日本は美術館に行く人は多いのに、買う文化が育っていないから市場が小さい。

宮津: インドネシアは日本が少し前に経験した「近代」を今経験しているのかもしれません。むしろ近代と現代が交じって、よりパワフルになっている気がします。

南條: 現代アートのような今までなかったものに対する好奇心が強いし、インドネシア国内の経済が急成長していることもあって、若い次世代経営者たちがコレクターとなり国内でアートを購入している。すると新しい作家の作品でも数千万円で売買されるようになって、海外からもバイヤーが参入してくる。アートは常に経済と連動するということですよね。経済が安定しているシンガポールは国策としてアートに取り組んでいます。韓国では、日本と比べて現代アートの社会的地位が高いし、台湾でも人々の現代アートに対する意識が高い。その結果、すでにアジア独自の美学が生まれてきているのかもしれないとすら思えるよね。

宮津: 中国の人たちが中国系作家の作品価値を国際的なオークションで押し上げているのは、その圧倒的な経済力によるものと言えますね。しかもシンガポールや北京では、現代美術館の館長に欧米から著名なキュレーターを迎え入れるなど、理論的にも自分たちのアートに対する価値付けを図っています。

南條: 中国の人口13億人がこれが良いと言えば、おのずと欧米とは違う機軸ができるわけだけど、一方で、欧米的な意味付けや位置付けをしていかないと、世界標準に到達できない。他国の人たちにも認められて、国際的に価値があることを証明することが次の課題になる。そこは日本がとても弱い所でもあるよね。

海外発信に不可欠な、ルールを超えた戦略

宮津: 日本には、福岡アジア美術館など世界屈指のアジア近現代美術のコレクションがあるのに、それが宝だという認識がないために、うまく海外に発信できていない部分がありますね。

南條: 現代アートの蓄積は十分あるのに、言説が英語で発信されていないから国際的な場でマッピングできないというのもある。僕はこの前文化庁の会議で、言説発信のための翻訳ファンドを作ることを提唱しましたよ。日本人作家は英語が不得手な人が多いし、国内評価だけで満足している人もいる。でも現代アートと作家が目指すのは、日本の中だけの成功ではないはず。希少だけど、国際的に評価が高い作家として草間彌生、奈良美智、村上隆、杉本博司、名和晃平がいるね。特に草間さんのように、欧米の主要美術館であんなに個展をやった作家は、海外作家でもなかなかいない。

宮津: 草間さんは、ウォーホルなどの白人男性作家が優位だった時代には、なかなか正当に評価されませんでしたが、90年代後半になって、米国の主要美術館が彼女の初期作品に焦点を当てた展覧会を行ったことから、日本でも再評価されました。結局、欧米で価値基準が定まってから日本が後を追うんですよね。

南條: でも80年代末、僕が積極的に日本の現代アートを海外に出そうとしていた時は、あえて欧米基準に合わせずに作品を選んだけどね。それが89年にアメリカで作った「Against Nature」という展覧会。今まで誰も評価していない日本の作家をアメリカに出したらどうなるかという発想で選んだ中に、森村泰昌、宮島達男、ダム・タイプ、椿昇、大竹伸朗(しんろう)がいて、世界で高く評価されました。いまだに、なぜあれが評価されてこれは評価されないのかと疑問に思うこともあるし、現代アートは予測不能の部分があるから面白い。

宮津: 村上隆さんみたいに「スーパーフラット」という誰にでもわかるようなキャッチーな言葉でコンセプトを表明して、日本には昔からルネッサンスの三点透視法とは異なるパースペクティブが存在するということを世界に知らしめて、大成功した例もありますね。

南條: 日本にはそういう戦略や思考がもっとあるべきだよ。いわゆる優等生は多いけど、自分で開拓しながら前に進むような人が少ない。国際的な場では、ルールの中の戦略ではなく、ルールを超えた戦略が必要だと思いますね。

現代アートは世界を知る一つのレイヤー

宮津: 1998年の第1回台北ビエンナーレで南條さんがコミッショナーをされた時は、今ほど中国・台湾間の交流がなく、政治的な状況を含めご苦労されたようですね。

南條: 中国が台湾を攻撃するかもしれないと危惧されていたし、台湾入国のビザが出た中国人作家はNY在住の蔡國強(ツァイ・グオチャン)だけだったからね。しかも彼は、落下傘部隊がやって来るとまで噂されていた中で、作品として大量のロケット花火を台北市立美術館から打ち上げた(笑)。開催前に館長は、蔡さんにこれを許可すると政治問題になるのではないかと散々悩んでいましたね。でももし規制すると、台湾も中国と同じ検閲のある国になってしまう。だから台湾が自由の国であることを主張するには許可するしかないと。これくらい現代アートは政治的になるんです。

2006年に第1回シンガポールビエンナーレで芸術監督をした時も、この国は作品発表のために亡命する作家がいるくらい検閲が厳しいので、いくつかの作品展示はだいぶ疑義が生じて大変でした。日本のキュレーターが無難に作品を選んだつもりでも、外国政府に問題視され、どこがどうNGなのか説明されないと分からないこともある。でもそういう経験を積むと、他者から見たらどう見えるのかという意識が磨かれるし、作品自体も国際的な場でさまざまな視点で見られることで、強度が増していくんだと思う。


2008年の第2回シンガポールビエンナーレでも芸術監督を務めた南條氏。(右端)

宮津: 現場を知るほど、政治や経済絡みの生々しい話が聞こえてきますよね。2012年に中国で反日運動が盛り上がっていた時、広州の高名なギャラリーから僕のコレクション展とトークを依頼されたんです。思い切って行ったら、会場に向かう途中で大規模なデモに遭遇して、まさに命からがら会場に辿りつきました。でもそんな中、60人位のお客さんが熱心に僕の話を聞きに来てくれて。僕が出展した作品の大半は、中国作家のものでした。外では激しい反日運動が繰り広げられている一方、会場内では日中交流が行われているという実に不思議な光景ですよね。アートにはそういうことを可能にする力があるのだと実感しました。その意味で、現代アートは日本がさらにグローバル化するための有効なツールだと確信しています。

南條: 世界中のアーティストやキュレーター、コレクターと実際に会って話しているうちに、各国の内情や彼らのメンタリティが見えてくるから、現代アートは外国を知るうえでもすごく面白いレイヤーだと思うよ。


2013年アート台北でガイド・ツアーを行う宮津氏。

 


この対談は2015年3月に行われたものです。

編集・構成:国際文化会館企画部
対談撮影:サトウノブタカ
協力:株式会社 天童木工
©2019 International House of Japan


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