(対談)テオドル・ベスタ―氏 x デイヴィッド・リボヴィッツ氏
「TSUKIJI~生きた江戸文化ここにあり!」

威勢のよい掛け声があちこちで飛び交い、人々の間をかき分けてターレが走り抜ける東京・築地魚市場。和食がユネスコ文化遺産に登録された今、ここはまさしく世界の台所だ。2016年秋には新天地・豊洲への移転が決まっているが、現在の姿を惜しむ声も多い。文化人類学者と、築地市場で働いた経験を持つマグロ業者―築地を愛してやまないお二人に、その魅力を大いに語ってもらった。

[2015年6月]

テオドル・C・ベスター/ 文化人類学者
1951年米国イリノイ州生まれ。ハーバード大学社会文化人類学教授、同大ライシャワー日本研究所所長。築地の魅力に惹きつけられ、89年から14年間にわたって取材をし、“Tsukiji: The Fish Market at the Center of the World”(カリフォルニア大学出版、2004年。日本語版『築地』は木楽舎より2007年刊行)を完成させた。同書は米国人類学協会経済人類学部門2006年最優秀賞ほか多数の賞に輝く。現在の研究テーマは日本の食文化の伝統と和食の世界的普及。

デイヴィッド・リボウィッツ /マグロ輸出会社経営者 
1968年米国ニューヨーク市生まれ。DML株式会社代表取締役。93年に来日、まだ日本文化にもなじみがない頃に築地市場のマグロ卸業者「山和」で1年半勤務。その後2000年に北米に生鮮・冷凍マグロおよび加工品を輸出するDML株式会社を創業、Itsumo Foodsブランドを展開している。その活動は『ジャパン・タイムス』などで紹介された。

 

築地魚市場に一目ぼれ?

テオドル・ベスター: 私が最初に築地に出会ったのは、今から30年前。当時は結婚したての貧乏留学生でしたが、なぜか地元のすし屋さんと知り合いになり、魚についてあれこれ尋ねるうちに「築地に行ってみる?」という話になった。興味半分で出掛けたものの、まるで火星に行ったようでしたね(笑)。見たこともない魚を前に、仲卸人たちの会話もほとんど理解できず、市場の雰囲気に圧倒されるばかりでした。

その10数年後、日本の物流システムを研究するため東京にいた私は、再び築地を訪れることになった。その頃には言葉も上達し、日本社会に関する知識もかなり備わっていたので、現場で話が聞けるだろうと出掛けたんです。そうしたら、今度は完全にのめりこんでしまいました。「こんなに面白い場所は世界中どこを探してもない!」そう確信した私は、以来、築地市場の研究に没頭し、2004年にその成果を本にまとめたんです。

デイヴィッド・リボウィッツ: 僕も拝読しました。今日こうして直接お話しできて、とても光栄です。僕の場合、築地との出会いは全くの偶然でした。それまでは古着屋ビジネスで成功していたんです。しかし1997年、ひょんなことからマグロ業者の方と知り合いになり築地へ行った時のこと。魚の匂いや潮の香り、活気に満ちた市場の喧騒、縦横無尽に動き回る男たち…五感のすべてが刺激され、一瞬で築地にほれ込んでしまった。それで、つてを頼りに河岸の世界に飛び込み、マグロ仲卸業者の店で1年半ほど修業させてもらったんです。


1日2000トン以上の水産物が取り扱われる築地市場には、日々約3万人の買い出し人が訪れる。(写真提供:山和株式会社)

築地に垣間見る江戸文化

ベスター: 築地の魅力は何よりそこで働く人たちですね。河岸の仕事は朝が早いし、決して楽じゃない。でもなぜか皆が気持ちよく働いている。競売人、仲卸業者、魚の買い付けに来るプロの料理人たちは皆、冗談を言い合ったりしながら常に「笑い」を絶やさない。そうした日々のやりとりを通じて構築される人間関係が、築地の持つ独特な文化や商習慣の根幹にあるように思います。

リボウィッツ: 同感です。築地は人のエネルギーと混沌で満ちあふれていますね。ただ、混沌とした中にも不思議な秩序がある。僕にはそれが江戸時代の封建制度から生まれた武士道の概念に通じるように感じられるんです。よくも悪くも、皆が自身の役割や責任をわきまえていて、おのおのの仕事を全うすることに誇りを持っている。

ベスター: 武士道とまでは思いませんが、確かに築地は、17世紀にさかのぼる江戸文化が今に息づく数少ない場所と言えます。江戸時代の武術に見るような「型」の存在もその一つ。例えば、マグロを解体するときは刀のように長い包丁を使って数人がかりでさばきますよね。一人は柄の部分、もう一人はタオルを巻いた刃先を握るため、呼吸が合わなければ非常に危険です。それだけに基本の所作と言うべき型の修練が必要になる。包丁研ぎを学ぶ弟子たちは、ただ研ぐのではなく、「正しく」研がなくてはならない。

魚選びの際も、型はとても重要な要素の一つです。形や大きさが不揃いなものは使い勝手が悪いし、尾が反りあがっているような魚は、釣り上げられる際に激しく暴れた可能性があり、それは味に直接影響しますから。


3人がかりでマグロを解体する。(写真提供:山和株式会社)

リボウィッツ: 仲卸人たちの「目利き」の能力には本当に驚かされます。築地で働き始めた頃は、彼らが何を見て魚の質を判断しているのか、全くわかりませんでした。僕にはどれも同じに見えましたから(笑)。

ベスター: 魚の良しあしはもちろん、仲卸人たちは顧客である料理人がどんなレベルの魚を求めているかも熟知していますよね。彼らの会話を聞いていると、単に魚の状態や値段の話ではなく、「これはすごい上物だけど、おたくのお客さんにはちょっと高すぎるから、こっちのほうがいいよ」といったやりとりが交わされている。つまり、日々のコミュニケーションを通して顧客の要望をくみ取り、それに誠実に応えているんです。単なるモノの売り買いではなく、信頼関係なんですよね。そうした商人の心意気も、日本橋で河岸が栄えた江戸時代中期から脈々と受け継がれてきた日本の文化的価値の一つでしょう。

自然から命をいただく

ベスター: 日本の文化を引き継ぐものとして、築地市場横の波除(なみよけ)神社もとても興味深いですね。境内には卵、エビ、魚、ハマグリ、すしなどの塚があって、時折、参拝に訪れる仲卸人や料理人の姿を見かけます。「生きるために食べる」ことに感謝するという、人間以外の生き物の命に対する倫理感ですよね。さっきまで生きていたものを、食するために殺すことへの敬意でもあります。それは日本特有の考え方なのかもしれません。スペインや米国では魚市場の近くにカトリックの祠(ほこら)を見かけましたが、それらは魚や食物のためのものではなく、海で亡くなった漁師を祀るものでした。


波除神社に並ぶ卵や魚の塚。年間を通して、供養祭や魚霊祭が行われる。

リボウィッツ: ユダヤ教にはコーシャという食事規定がありますが、本来これは動物をどう扱うかという倫理を示したものなんです。神道の、自然から命をいただくという考えに、少し似ているかもしれません。人間以外にも魂があるという考え方はとても興味深いです。西洋は一般的に征服欲や消費欲が強くて、魚がほしい、魚がそこにいる、そうしたらたとえそれが最後の1匹だとしてもその魚を捕りに行くというメンタリティーがある。逆に日本人は、自然や環境に対して共存意識を強く抱いているように思えますね。

ベスター: ユダヤ教とキリスト教は、原則的に自然の上に人間を立たせますからね。神道の基本哲学や、昔ながらの日本を見てみると、人間と自然がより一体となっています。神道は、田植え期や収穫期などに合わせて季節を祝いますしね。

リボウィッツ: 最初に日本人がすしや刺し身を食べ始めたというのも、自然と調和して、自然をありのままでいただくという日本的な考えに通じているのかもしれません。

ベスター: 少なくとも北米で、昔から食されてきた生の海産物と言えば、カキくらいでしょうか。西洋料理の多くは、生の食材を香辛料やソース、調理法を駆使していかに美味しく変化させるかにかかっています。

一方、和食の基本は食材自体の特徴が明確であること。本来、欧米人にとっては魚介類や動物の肉を生で食べることが安全だという考え自体、なじみがないものなんです。私のように海から1000キロ以上も離れたイリノイ州で育つと、新鮮な魚を知らなくても全く不思議ではない。子供の頃に「ライスの上に、おいしい生魚をのせて食べるんだよ」と言ってすしを出されたら、恐怖のあまり叫びながら逃げていったと思いますよ(笑)。それくらい生魚は想像を絶するものでした。すしや刺し身が北米や欧州で広まったのはごく最近のことで、それは紛れもなく日本食の影響なんです。

和食で伝える日本文化

ベスター: この数十年、すしや刺し身の米国での需要は群を抜いて高まってきていますが、腕利きの日本人シェフによって食材が吟味されていない場合も多いですね。すしは単に米に刺し身をのせたものではなく、伝統的な技術や知識が必要だという基本的な部分が伝わっていない。今や多くの外国人シェフが「うまみ」について延々と語りたがります。彼らは得意気に「日本で和食を勉強した6週間のあいだ、ひたすら出汁を作って、昆布の違いを学んできたよ」と言うんです。でも、そんな人たちに限って料理学校では昆布や出汁、うまみのことなど、聞いたこともなかったりするんですよね。

リボウィッツ: 衛生面でも同じで、いくらルールを作っても海外の日本食店はなかなか日本のすし屋ほど清潔にならないですね。生ものを扱うことに対して、人々が意識的になるような文化の構築が必要です。

ベスター: 私は次の本で、和食とは何かについて書く予定です。調理法や見た目の美しさだけでなく、伝統芸能から宗教的信仰、日常的な作法、人々の社会的なつながりに至るまで、あらゆる文化的な側面と絡めて和食を説明したいと思っています。和食というのは単なる料理という次元を超えて、いわば世界観を表している。それを説明できたらと思いますね。

移転への不安と期待

リボウィッツ: 築地の移転はすでに東京都が決定し、2016年秋には豊洲に河岸がオープンしますね。場内で長く商売をしてきた業者の中には、移転に伴う経済的負担から、これを機に店をたたむ人もいると聞きます。昔ながらの築地の姿が失われていくと思うと、残念でなりません。それに「築地」という名は、今や世界に通用する大きなブランド力になっています。

ベスター: そうですね。築地の「場」としての文化的価値が意外にも過小評価されているのは残念です。例えば、誰がハリウッドをアリゾナに移転させて、改名したりするでしょうか。考えられないですよね。豊洲への移転はそのくらいの衝撃がある話なんですよ。ただ、移転の必要性を認めざるを得ない部分もあります。築地市場が創設されたのは1935年ですから、施設はもうボロボロです。その懐かしい雰囲気が、私はとても好きなんですけどね。

その姿を記録に留めようと、松竹が映画※を製作していて、私も少しばかり協力しました。豊洲に移れば、より衛生的で安全で効率的な環境になることでしょう。豊洲に移った人たちが満足する仕事ができて、最高の水産物を世界中の最高基準の料理人たちに供給し続けてくれることを、心から望みますね。

※築地市場と日本食の文化を記録したドキュメンタリー映画『Tsukiji Wonderland(仮)』(製作・配給:松竹株式会社)は2016年公開予定。

 


この対談は2015年6月23日に行われたものです。

編集・構成:国際文化会館企画部
インタビュー撮影:サトウノブタカ
©2019 International House of Japan


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