国谷 裕子氏が語る
「報道の現場から世界を見て」

世界がより多様化・複雑化する今、情報をフェアに伝えるということはますます難しくなってきている。日本のトップキャスターの1人として、時事問題に鋭く切り込む姿勢が高く評価されてきた国谷裕子さんも、公平な報道のあり方を常に模索してきた。23年間務めた報道番組「クローズアップ現代」のキャスターを今年3月で終えられた今、仕事に対する想いや、国内外のジャーナリズムの現状などについて伺った。

[2016年9月]

国谷裕子(くにや・ひろこ)/キャスター
大阪府生まれ。父親の転勤に伴い高校時代まで米国、香港、日本で生活。1979年、米国ブラウン大学卒業。81年からNHKニュースの英語放送アナウンサー、ライター。87年からNHK衛星放送のNY発キャスター。88年に帰国し、NHKのニュース番組「ニューストゥデイ」、衛星放送「ワールドニュース」などを経て、93年に開始したNHK総合「クローズアップ現代」のキャスターを、2016年3月まで23年間にわたって務める。菊池寛賞(02年)、日本記者クラブ賞(11年)、ギャラクシー賞特別賞(16年)、放送人グランプリ2016 などを受賞。

―これまで30年近く、キャスターとして報道の第一線で活躍してこられました。今どのように振り返りますか?

30歳すぎでキャスターになったので、他の人より遅かったのですが、今から思えばある意味で幸運なタイミングでした。1989年の天安門事件に始まり、湾岸戦争、ソ連崩壊という世界の地殻変動を目の当たりにし、いきなり千本ノックのように鍛え抜かれましたね。来る日も来る日も何が起きるかわからない。さらに衛星放送が始まったことで、どこにいても世界中の映像を見られるようになり、情報のグローバル化が進みました。

NHK総合で「クローズアップ現代」(以下「クロ現」)が始まった93年も、非常に興味深い年でした。カンボジアでの国連PKOなど、国際社会の中での日本の役割の変化を強く意識させられ、経済面では、バブル崩壊後に初めて日本の地価が2年連続で下落した年でした。その後も国際社会で渦のように起きていることが、次々と日本経済や社会に影響していきました。

私自身、キャスターとして最も衝撃を受けた事件は、9.11同時多発テロ事件です。「クロ現」は事件の2日後に放送したのですが、状況が把握できない中で何を伝えるべきか、皆で議論を重ねました。その時ブッシュ大統領が演説で“We are at war”と言ったのを受けて、冒頭の前説のキーワードは「見えない敵」にしようと思うと言ったら、それが番組のタイトルになりました。番組の核となる言葉を自ら提案できたこともあって、印象深かったですね。

9.11後は米国の単独主義的行動が目立つようになりますが、世界のリーダーとしての地位も次第に不確実になっていき、アフガニスタン、イスラム過激派、アラブの春、中国の台頭や北朝鮮の問題など、世界の秩序が一層見えにくくなっています。その意味では、物事を大きなフレームで捉え、今何が起きていて、何が背景にあって、日本にとって何が重要で、どんな影響をもたらすのかを、早くから意識しつつ報道の扉を開くことができたのは、私にとって大きな意味がありました。

―情報のグローバル化により、従来は伝えられてこなかった、多様な人々の姿や声が届くようになりました。それをどのように報道に反映してこられましたか?

一つの物事には当然いろいろな立場、見方、価値観があります。特に情報のグローバル化が進むと、いかにして多面的な価値をきちんと認識し、伝え、その中で相互理解を深めていくのかが大切になります。そこに対してテレビが果たしてきた役割は大きいと思いますが、一方で、圧倒的な映像というのは、その力ゆえに人々の想像力を奪い、かえって物事を俯瞰するのを妨げたり、恐怖や憎悪を生み出してしまうパワーを持っています。切り取られた場面は一瞬であり、一部でしかないのに、視聴者の方々は映し出された映像が全てだと思ってしまいかねない。伝え手は常にそれを頭に置いておかないといけないのです。

例えばイラク戦争 で米国が最初に攻撃したのは、バグダッドの放送局です。中継ができず、向こう側の情報が出なくなる。私たちに届くのは、米軍が重装備の車列で進軍していく様子であって、それはあたかも良い人が悪い人をやっつけに行くような光景なわけです。では、爆撃などの被害に遭っているイラク市民たちの声はどうなるのか。

「クロ現」の場合は、冒頭1~2分の前説で「今からご覧いただく映像は、全体の問題の中でこういう部分なんですよ」というのをきちんと説明することを心がけてきました。さらに映像にない部分や届けられていない部分の話をゲストの方とするとか、あえて意見の違う方々をスタジオに呼んで議論するとか、そうした複眼的な視点を番組の中で作るよう、制作陣と話し合いながら進めていました。これは非常に大事なことです。同じことでも立場によって全く見方が変わってきますから。

―視聴者にはそれがうまく伝わったと感じますか?

社会がより複雑化し、互いに不寛容になってきただけに、伝えることがどんどん難しくなったことは確かです。問題が複雑になるほど、誤解や対立が生じる可能性が出てくるので、多様な意見への配慮が欠かせません。一方、テレビですから、「ここだけは映さないで」と言われることもあります。本当はそこが一番大事だったりするのですが。そうした制約の中で、私自身がどれだけ熱を持って自分の言葉で伝えられるか、そして視聴者の目をいかに早く問題の核心部分に持っていけるかが重要でした。それでもいろいろな声が届きますが、私の中では番組に対する賛否が半々だったら良しと捉えていました。

というのも、「わかりやすく伝える」よりも「問題の深さや複雑さを知ってほしい」という想いのほうが強いからです。私自身、伝えきれなかったと思って終わることが多い。ゲストの解説を聞きながら「そんな視点もあるのですか?」となって、予定外の方向へ話を広げていくこともあります。そういう意味では最後の最後まで番組作りには発見がある。そうした新しい視点を、視聴者の皆さんも一緒に発見していただけていたら嬉しいですね。

―ジャーナリズム全体をとりまく環境についてもお聞かせください。日本の報道の自由度ランキングが2010年の11位から今年は72位にまで落ちたとの発表がありましたが、実感はありますか?

具体的に圧力を感じるようなことはそれほどありませんでした。ただ、これは日本固有の文化かもしれませんが、世間の空気があるトーンで盛り上がった時 に、その逆を行くような厳しい質問をするとひどく批判されるという「風圧」は何度も感じました。

例えば、1997年に来日したペルーのフジモリ大統領にインタビューした時です。当時、大統領は日本大使館人質事件を解決し多くの日本人を救ったことで、日本の恩人として大歓迎を受けていました。そんな中、私は大統領の人物像を浮き彫りにするには、ペルー国民の批判について触れないわけにはいかないと思い、一連の質問の中で「憲法改正によって権限を強化しようとして、ペルー国民に独裁的になっていると思われていますが」と聞きました。すると番組後に、視聴者や週刊誌から多くの批判の声が上がったのです。全く予想していなかったので正直驚きました。

でもこうしたインタビューは、実は質問が重要なのです。というのも、ニュースになるような答えが返ってくることは滅多にありません。むしろ質問を投げかけることで、その問題を取り巻くさまざまな観点を情報提供できる。ですから、多様な声をぶつけるつもりで、角度を変えながら根掘り葉掘り聞いています。

報道に関して原則を申し上げるなら、ジャーナリズムの役割は権力をチェックすることがその一つですが、現状ではチェックされる側の政府が放送の業務停止を命ずる法的な力を持っています。放送の業務についての判断は、本来、第三者的立場の人が行うべきなので、そもそもの構造に矛盾があると思っています。

―情報の受け手の変化についてはいかがですか?

南カリフォルニア大学のある教授によると、アメリカ人が1日に新聞を読む平均時間数は1978年の40分から、2015年には14分に減り、全世代において購読者が減っているそうです。日本もそうですが、今はネットでブログなど自分の好きなサイトを見て、自分の傾向にあった記事だけを選んで読む。それがSNSなどで拡散することで、ますます社会の分断が進んでいるそうです。また、米国人口の68%はオンラインニュースを見ていて、しかも大半の人はヘッドラインしか見ていない。三大ネットワーク局の夜のニュースを見る人も、この10年で半分になったと言われています。

こうしたニュースへの関心の低下も相まって、商業的なジャーナリズムが苦境に立っているわけです。チャールズ・ルイスの創設した国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)などの非営利ジャーナリズムが台頭してきていますが、米国のようにそうした活動を資金援助する組織が多くない日本は、今後どうなっていくのか心配です。日本の大学生の読書量は1カ月に平均1冊以下だそうですし...。優れたジャーナリズムを育てるのは、良い意味でのクリティカルな読者や視聴者ですから、危機感を持っています。

―今後はどのような活動をしていかれますか?

まだ具体的には決めていませんが、個人的に大切だと思うテーマには積極的に関わっていきたいと思っています。今は特に国連のSDGs(持続可能な開発目標)に注目しています。貧困や環境、資源、ジェンダーなど17の目標と169のターゲットを掲げ、互いに関連する個々の問題に取り組むことによって、最終的に複数の課題解決へつなげ、持続可能な地球を作り上げようというものです。今の時代は、身近な問題を通してますます世界のことを考えないといけない。次世代を担う若い人たちには、SDGsを通して世界の問題を早いうちから意識して、自分は何ができるのか、自分の行動が将来的にどんな結果をもたらすのかなどを考え、想像できるメンタリティーを持ってもらいたいと思います。

 


このインタビューは2016年9月1日に行われたものです。

聞き手:小澤 身和子/笹山 祐子(国際文化会館企画部)
インタビュー撮影:相川 健一
©2019 International House of Japan


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