アビゲール・フリードマン氏が語る
「女性が活躍できる社会へ」

女性の社会進出を促進する動きが加速し、さまざまな業界で活躍する女性たちの声も聞かれるようになった。しかしまだ日本の職場環境は女性や家族に優しいとは言えない。3人の子どもを育てながら、外交官として25年間以上キャリアを重ね、在日米国大使館に勤務した経験も持つフリードマン氏。現在は国際女性会議など多数のシンポジウムで有識者として発言したり、CEOを務める国際コンサルティング会社などで、女性のエンパワーメントに貢献しているフリードマン氏にお話を伺った。

[2016年12月]

アビゲール・フリードマン/元米国外交官、ウィステリア・グループCEO
国際コンサルティング会社、ウィステリア・グループの創立者兼CEO。アジア財団シニア・アドバイザーとして、同財団と日本の戦略的な関わりを指揮し、アジアの紛争地域に関する助言も行う。米国の外交官として25年を超える経験を持ち、主に国際交渉と紛争解決を専門とする。東京の米国大使館には2度勤務。2000~03年に政治部軍縮ユニット責任者として、日米の対北朝鮮政策を調整。6カ国協議の米国政府代表団員、在ケベック(カナダ)総領事などを経た後、1年間アフガニスタンに赴任。趣味で俳句作りをたしなみ、『私の俳句修行』(岩波書店、2010年)など著書多数。

 
―最初に日本にいらした経緯を教えてください。

初めて日本に来たのは1986年でした。それまでは旅行で来たこともなく、日本についてほとんど何も知りませんでしたが、夫は昔からサムライ映画が大好きで、日本文化に憧れを持っていました。彼がたまたま広島での英語講師の求人を見つけたことを機に、二人で日本に移住することになったんです。当時私は、移民専門の小さな法律事務所を経営していたのですが、日本に行くのも面白そうだと思い、同行することを決めました。

広島で暮らし始めた時、私は30歳で妊娠1カ月でした。当時は外国人もほとんどおらず、日本語も全然分かりませんでしたが、ありがたいことに地元の方々に助けていただき無事に出産しました。私は常に新しいことを学んだり挑戦したりするのが好きなので、楽しい経験でした。それから主婦として子育てに専念しました。当時は、日本語を話さないアメリカ人が職を探すのは困難だったからです。アメリカで取得した弁護士資格は日本では無効でしたし、しかも私は妊娠していたので、就職できるはずもありませんよね。

私は幼少時からいつも、将来はバリバリ働こうと考えていたので、結婚して子どもを産むなんて考えてもいませんでした。でも計画通りにはいかず、恋をして結婚し、出産した。そして広島で初めて主婦として赤ん坊の面倒を見る日々を送りました。でもある日、帰宅した夫が、赤ん坊の世話に手こずる私を見てこう言いました。「君は外で働く方が向いているんじゃない?」私よりも彼の方が、私のことを分かっていたんですね。当時すでにアメリカの国務省の試験に合格していたので、帰国して外交官になろうと、思い切って応募すること にしました。

―外交官と子育てとの両立は難しかったのでは?  

私は夫が仕事よりも子育てを優先してくれたので、とてもラッキーでした。国務省の外交局への採用が決まると、夫は「やってみたらいいよ、家のことは僕がやるから」と言ってくれたのです。“専業主夫”はアメリカでもまだ珍しい時代のことです。私の方も、少しでも夫の負担を減らすために、彼が住みたいと思うような場所での任務を選んだりしました。

子育ては骨折り仕事です。彼は「長年女性がこんな大変な仕事をしていたなんて、びっくりだよ」と言いながら、楽しんでやってくれたので助かりました。ただなぜか、病気になった時に子どもが夜中に呼ぶのは、いつも私なんですよ。ほとんどの時間を子どもたちと過ごしていたのは夫なのに、不思議ですよね。また、子育ては赤ん坊の間だけが大変なのではなく、むしろ子どもが十代になるともっと一緒にいる時間を増やす必要があると感じました。ですので、夫の協力なくして仕事との両立は不可能だったと思います。

―時には妥協することもあったのでは?  

外交官時代、イラクへ赴任するオファーがありました。夫に相談しましたが、当時は3人の子どものうち2人がまだ十代だったので、最適な時期ではないと諦めました。3年後、アフガニスタンに赴任する機会がやってきた時は、良いタイミングだったので行くことを決め、家族と離れて1年間現地の米軍に従軍しました。素晴らしい体験でした。家族がいると、やりたいことがあってもできないことがたくさんあります。ただその一方で、家族みんながハッピーになるための最善策を常に考えるようにもなると思います。

―日本の労働環境をどう見ていますか?  

私がアメリカの高校生だった70年代、女性にとっての選択肢は、主婦になるかキャリアウーマンになるかの2択しかありませんでした。しかし国の経済が悪化し、より多くの女性が外で働かなければならなくなった。今日の日本でも似たようなことが起きているように思います。女性が働き始めるには多くの理由がありますが、経済的な自立を獲得したり、家計を助けるためということが主な理由だと言えるでしょう。

80年代後半に、私がアメリカで外交官として働き始めた頃は、女性は仕事場になじむために、できる限り男性のような格好をして働いていました。濃い色のスーツに白いシャツ、小さな蝶ネクタイまでしていたのです。現在の女性たちは職場に適していれば何を着てもいいですよね。でも80年代は服装すら問題となったわけです。

現在のアメリカでは、子どもが病気になれば、女性だけでなく、男性も仕事を早退することが当然のように許されています。職場全体でバランスを取りながら、皆にとって働きやすい環境を作っているのです。そうしたことは日本でも普通になっていくでしょう。日本では仕事を優先することで、家族と過ごす時間を犠牲にしている人がたくさんいますが、より多くの女性が労働力に加わると、それに応じて環境が変わってきます。組織の中の女性の数が多いほど、組織もそれに応じて、 働く女性とその家族にとって良い方向に変化しやすくなるはずです。だからこそ、「家族」に優しい仕事環境を作ることを考える必要があります。単に働く女性が子どもの面倒を見られるようにするためではなくて、男性と女性が一緒に家族の責任を果たせるようにす るためにです。

―日本の女性が職場で活躍するためには?

男女を問わず仲間やメンター、応援者が必要です。特に今は男性の方が多い職場が大多数ですから、応援してくれる男性の存在は大きい。90年代に再び来日した頃、私は駆け出しの外交官としてウォルター・モンデール駐日大使のもとで働いていたのですが、大使が私のために非常に重要な役回りをしてくれていたことに、後になって気づきました。

例えばレセプションなどでは、大使の周りに人が集まってきます。すると彼はさりげなく私の隣にやって来て、人々と会話を始めるのです。それは思いもよらない行動でした。彼はとてもよく気の付く思慮深い人で、私の隣にきて会話の中に引き入れることで、私が重要な人物であるということを人々に伝えてくれていたのです。これは上司やリーダーが学ぶべき重要なスキルと言えます。女性側のトレーニングやエンパワーメントだけではなく、幹部クラスの男性に対しても、こうしたトレーニングを施す必要があるのではないでしょうか。彼らだって自分が採用した女性たちの活躍に、当然期待しているわけですから。

―女性側では何ができるでしょう?  

日本では女性たちはよく、自分たちが直面している問題は日本特有のものだと考えがちですが、実は年老いた親の面倒や、働きながらの子育てといった問題は、世界中の女性や男性の多くが抱えている問題でもあるんですよね。私が経営する国際コンサルティング会社では、女性の経済的エンパワーメントについてのブログを開設し、世界中で活躍する女性経営者たちに行ったインタビューを公開しています。いずれぜひ日本語でも紹介できればいいですね。日本の女性は、より多くの情報を得て世界の動向を知ることで、より多くの選択肢を見つけられるようになるのではないかと思います。

―日本政府の女性活躍促進への取り組みについてどう思われますか?  

良い方向に向かっていると思います。もし10年前に日本政府の最優先課題が女性の活躍促進だと聞いたら、冗談だと思ったことでしょう。でも時代は変わりました。これは日本政府にとっては経済政策ですが、それと同時に、女性や家族にとっては人権問題なのです。全ての人には自分の能力に応じて職業を選ぶ権利があるということを忘れてはなりません。そして政府には性別を問わず、誰もがそれを実現できるような社会を作る責任があるのです。私たちは日本の女性がより多くの選択肢を持てるよう、圧力をかけ続ける必要があります。

さらに、これは単に政府が号令をかければ変わるものでもありません。女性側、男性側、職場の全てにおいて努力されるべきです。これほど大きな文化的変革ですから、もちろん時間も労力もかかります。でも確実に変化は起きています。

―なぜ職場に女性が必要なのでしょう?  

世界的に見ると、変化を起こすには「数」が必要だということが分かります。女性の数を増やすことを単に目標としている国もありますし、クオータ(割り当て)制を導入した国もある。クオータ制の導入は実際効果を発揮しています。クオータ制に懸念を持つ人たちも いるかもしれませんが、それはなぜ職場にもっと女性が必要なのかをよく考えていないからではないでしょうか。働き手の多様性という価値を真に理解していなければ、それは一部の人々を利する見せかけの道具にしか見えないでしょう。

でもそれは違います。政府や職場に多様性が必要な本当の理由は、それによってより良い意思決定が可能になるからです。政策であれば、一部の人ではなく社会全体の意向を反映した意志決定ができますし、多様性のある職場では、1つの問題に対してさまざまな解決法を持ち寄ることができるのです。


2016年、リーダーシップを考えるシンポジウムにて(写真提供:GLOBIS Insights)
 
女性のリーダーシップを推進していく上で不可欠なことが3つあります。1つは女性たちの声を届かせるために組織の中に十分な数の女性を入れること。2つ目は、国の指導者や議員、会社の重役といった重要ポストに女性を配置することです。そして3つ目は、肩書だけでなくきちんと権限を与えること。せっかく女性が管理職の地位を得ても、組織からのサポートがなければ彼女たちの声は届きません。

先ほど触れたモンデール大使は私の影響力を強化するためにサポートする必要があることを理解されていました。考えてみてください。私が外部に対する影響力を持つということは、大使館が影響力を持つことと同じですよね。企業も従業員にこうした影響力を持ってほしいはず。組織の上に立つ人間にはこうした役割があるのです。

―若者へのメッセージをお聞かせください。  

自分の人生とキャリアを振り返って言えるのは、「とにかくやってみる」ということ。一番重要で一番大変なのは、自分に正直に生きることです。本当に好きなことをしていれば幸福でいられるし、それがあなた自身の大きな魅力になる。若いときは一度決めたら、それを永遠に続けなければいけないと思いがちですが、年を重ねるにつれて他のこともできると気づくものです。もし一つのことがうまくいかなければ、それに適応して自分が変わればいい。だから自分の信じる道を恐れずに進んでください。きっと周りの人たちもあなたを助けてくれるはずですから。

 


このインタビューは2016年12月9日に行われたものです。

聞き手:小澤 身和子/笹山 祐子(国際文化会館企画部)
インタビュー撮影:相川 健一
©2019 International House of Japan


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