世界最高峰のオーケストラを束ねる日本人ヴァイオリニスト 樫本 大進さん
「魂に響く音を世界に届けたい」

各国から超一流の演奏家たちが集まる世界最高峰のオーケストラ――ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。その第1コンサート・マスターを務めるのが、日本人ヴァイオリニストの樫本大進氏だ。ドイツを拠点にソリストとして世界の舞台で活躍する傍ら、このトップ集団を束ねてきた樫本氏が、来日公演の合間を縫ってベルリン・フィルでの10年間やクラシック音楽が持つ力について語ってくれた。

[2019年1月]

樫本 大進(かしもと・だいしん)/ヴァイオリニスト 
1979年ロンドン生まれ。3歳よりヴァイオリンを始め、7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学。11歳のときにドイツの名教授ザハール・ブロンに招かれ、リューベック音楽院に留学。20歳よりフライブルク音楽院でライナー・クスマウルに師事する。90年、第4回バッハ・ジュニア音楽コンクールを皮切りに、フリッツ・クライスラーやロン=ティボーなど、数々の権威ある国際コンクールで優勝。ソリストとして世界の舞台で演奏する傍ら、2010年ベルリン・フィルの第1コンサート・マスターに就任。同楽団の精鋭たちで構成するベルリン・フィル八重奏団にも参加し、ますます活躍の幅を広げている。

 

樫本氏がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサート・マスター(以下、コンマス)に内定したのは2009年6月のこと。楽団員の自主性を重んじるベルリン・フィルでは、メンバーから正式なコンマスとして認められるまで、通常2年間の試用期間が与えられる。楽団員の評価次第では内定取消しもある中で、樫本氏は1年半という異例のスピードで正式就任。以来、名門オーケストラの舵取り役を担ってきた。
 
―ベルリン・フィルにコンマスとして入団されて、今年で10年ですね。この期間をどう振り返りますか。

ベルリン・フィル入団後の10年間は、本当にいろいろなことに挑戦し、勉強させてもらいました。新しいことをやるのは昔から好きなタイプなんですが、この時ばかりは「オーケストラ」という非常に大きなものでしたから、まずは必死で勉強しましたね。

オーケストラとソリストでは楽曲も違うし、しかもベルリン・フィルは好んで珍しいプログラムを演奏する楽団なんですよ。日本だと、比較的有名な曲がプログラムされることが多いと思いますが、ベルリン・フィルの感覚は真反対!ベートーヴェンの5番(交響曲第5番「運命」)などもまだ演奏の機会がないんです(笑)。来年はベートーヴェンイヤー(生誕250周年)ですので、どこかで入ってこないかなぁと期待していますけど…。

新しい曲をたくさん勉強しないといけないので、その分大変ですが、おかげで音楽家としての経験も増え、素晴らしい指揮者や仲間にも出会えて一緒に演奏できることで、人としても成長させてもらったと思います。

―どんなところに自身の成長や変化を感じますか。

いろんな意味で責任感を感じるようになりましたね。コンマスというのは、たんにコンサートの成果だけでなく、仕事のやり方とか、場の雰囲気を作っていく代表的な立場でもあると思うんです。もちろん最初からうまくはできないですけれど、経験を積む中で皆の感覚も徐々に分かってきて、いつどんな対応をどんなふうにすれば「空気」が変わるのか、つかめてきた感覚はあるので、そこは大きいと思います。

音楽をやってる以上、単なる「仕事」という感覚ではやりたくないし、楽団の皆にもそう思ってほしくないんですよね。プロフェッショナルとしてきちんと仕事をこなすのは当たり前の話で、それを超えたところで「何のためにこれをやっているのか」ということを常に感じていてほしいんです。たとえ体が疲れていたり、気乗りしない日でも、その意識は最低限必要なもの。そして、そこは空気づくりで相当変わると思う。

―「空気づくり」で具体的に心掛けていることはありますか。

「楽しくやっていこう」という意識が常にあって、その際に意外に大事なのが「笑顔」なんです。例えばコンサートの舞台に上がった後、コンマスはチューニングのためにオケの方を向くじゃないですか。他の団員が皆を見ることはないですけど、コンマスだけはそれをするんですよね。指揮者が登場していよいよコンサートが始まるという直前、最後に皆が「よし!」という気持ちになる時にコンマスを見ているからこそ、そこでの笑顔というのはとても重要だと思うんですね。だから毎回できるだけ笑顔で出ていくことは心掛けています。

―ベルリン・フィルはカラヤンの時代から、楽団の国際化が進んだと伺いました。さまざまな文化的・民族的背景を持つ楽団員を束ねていく中で、苦労することは?

民族性の違いはもちろんあります。でもそこまでの難しさは感じないですね。楽団員の半分くらいは、いわゆる”ガイジン”という環境なので、その辺りは皆もちゃんと心得ていますから。変なわがままを言うような人も...まあ、ちょっとはいるかな(笑)

でも結果的には「音」なんですよね。ベルリン・フィルでは、オーディションの際に国籍や人種は全く考慮していません。結局は自分たちに合う音や音楽かどうか。するとなぜか大抵の人がドイツとかオーストリアとか、ドイツ語圏で学んでいるんですが、では「ドイツ的な音」かといえば決してそうではない。それこそ「国際的な音」なんです。これはあくまで僕個人の感覚ですが、ドレスデンとかライプツィヒのオーケストラが奏でるような、深~い弦の音が完全に上回るような(ドイツの)音というより、すべてのパートがトップの音色を奏で、紡ごうとしている音。たしかに楽団は国際化していますが、自分たちが大事にしている「道」は変わっていない。それが違いを超える助けになっているのかもしれません。

―ときには、伝統的に奏でられてきた音をあえて変えることも?

ベルリン・フィルのメンバーが求める音というのは、リスクを超えてこそ出てくる音なんですね。リスクがあるからと、安全な方にレベルを落とすとか、クオリティを下げるというのは受け入れられない。たぶんオーケストラとしてだけでなく、人としてそう生きている人たちが集まっているんだと思います。もちろんリスクをとる以上、常に良い方向に行くとは限りません。生き物ですしね、音楽って。でも僕はそれでいいと思っています。失敗してもいいから、常に最上の音を目指していきたい。

―具体的にはどんなことがリスクになりますか。

例えば全体の盛り上げ方や音色、スピード...これは主に指揮者のやることですけど、演奏者のレベルでも、どういう指使いで、どういうタイミングの取り方で弾くか、などさまざまです。もっとテクニカルな面で言えば、オーケストラの場合、皆で縦のライン(各楽器パートのテンポや音出しのタイミングなど)が合ってないといけないんですが、それを一人があえてちょっとずらすというか、ソロのある人がちょっと間をとったりするのも、ある意味リスクです。それに合わせてみんなも自然と体が反応すると、音楽的にすごくきれいなラインになるんですが、誰か一人が気づかなかったり、集中を切らしていてタイミングを逃すと、やっぱり崩れてしまう。

―何かを変えるときは、指揮者や他の楽団員と話し合うのですか。

いえ、実はそれほどの時間は与えられていないんです。たくさん意見がある人たちが集まっていますし、全体的なことはやはり指揮者が決めることですしね。でもベルリン・フィルに来てくれる指揮者は一流の方たちばかりなので、はじめにリハーサルの音を聴いて、オケが持っている曲の解釈とか曲に対する気持ち、音楽性を感じ取ることができる。それを完全に崩して自分の考えを押し付けるってことは、まずないですね。絶対に失敗しますから。2日間しかないリハーサルで、オケの個性をうまく利用してくれる指揮者というのが一番うまくいくと思います。

ただ、日頃から団員同士で音楽の話はよくしますね。とくにツアー中は、コンサート後に皆と一緒に食事に行ったり、移動中に一緒に過ごす場面が多くなるので、逆に普段より話します。まあ、音楽だけではないんですけど、実際に本番をやってる最中だけに、やはり音楽の話になっちゃいますね(笑)。

―今年度から新たな常任指揮者としてキリル・ペトレンコ氏を迎えますね。ベルリン・フィルの方向性に大きな影響を与えそうですか。

そうですね。シェフ(指揮者)の交代というのは、オーケストラの方向性が一番影響されるところです。カラヤンからアバド、アバドからサイモン(・ラトル)、サイモンからぺトレンコへと、毎回正反対の人事なので、世間的には驚かれることが多かったと思います。でもそれは、このオーケストラが欲しがっているところが「前の指揮者になかったこと」だからなんですよね。その意味では、行ったり来たりの感もありますけど...。

僕が入団したのはサイモンの時代で、彼が指揮した16年間は、それこそ楽団が国際的になり、レパートリーもすごく増えた。マイナーな曲をたくさん取り入れたのもサイモンになってからだと思います。それまで「ベルリン・フィル」と言えば、ブルックナー、ブラームス、ベートーヴェンが代表的で、それ以外は正直ピンとこない部分もあったんです。もちろん上手は上手なんですが、なんだか自分たちのアイデンティティやDNAに入っていないというか...。そんなふうに感じたのがきっかけで、珍しい曲もたくさんやるようになりました。バロックなども、楽器は現代のものですが、バロック式に弾こうと皆が研究した結果、観客を納得させられる演奏になってきたと思うんですよね。そういう意味で、本当に幅広い演奏ができるオーケストラになったなと感じます。

ペトレンコになったらまた反対に、やや絞った感じになるのかもしれませんが、それも楽しみです。彼は曲に対する情熱にあふれていて、その曲のために生きている感じがします。リハーサルであれ、コンサートであれ、その瞬間に演奏している曲にすべてを捧げて生きているような感覚の音楽づくりをされる方。すごく尊敬できる指揮者です。

―この10年、ベルリン・フィル以外でも大いに活躍の場を広げてこられました。とくに兵庫で毎年秋に開催される「ル・ポン国際音楽祭」では、ご自身で音楽監督を務めていますね。

ル・ポン(「架け橋」を意味するフランス語)国際音楽祭は、普段はなかなかクラシック音楽に触れにくい場所、たとえば僕の祖父が住んでいた赤穂のような小っちゃな田舎町に、一流のアーティストたちと素晴らしい音楽をもっていって、みんなが気楽に音楽を楽しめたらいいね、というアイデアから生まれました。2007年に赤穂でスタートし、今では姫路と2カ所で毎年秋に開催しています。

あの音楽祭は、特にお客さんとアーティストの距離がすごく近いんです。普段はコンサートホールという場所柄、少し堅苦しい感じもしますが、ル・ポンでは城跡や寺など、その土地ならではの会場で演奏しています。アーティストも十数人と規模もちょうどいい。アーティストやお客さんの中には定期的に参加してくれる人たちもいて、すごくアットホームな感じになれるので、非常にやりがいがあるし、気持ちがいいですね。

―樫本さんが考えるクラシック音楽の力とは?

音楽って、ある意味で世界中の人が分かる言語ですよね。同じ音楽を日本でやっても、ドイツでやっても、クラシックがあまり盛んでないアフリカに持っていっても、感じ方こそ違えど、どこかで理解できたり、聞いていて心地いいと感じる部分があるはず。それはやはり、音楽が人間の魂につながっているからだと思うんです。世界中どこに行っても通じるし、人の心を動かせる――だからこそ、中世以降これほどまで長い間クラシックが親しまれてきたし、今でもチャリティ・コンサートをはじめ、いろいろなところで必要とされているのだと思います。

クラシック音楽は、民族音楽から発展し、今なお進化している音楽です。その道々にすばらしい作曲家たちがいたことで、人間のセンターとなる魂に響く音楽が形作られてきたことは、とても有難いことです。そうしたつながりの中で、僕も何か人類に対して大きなことに携わらせてもらっているとすれば、これ以上の幸せはないのかなと思っています。

 


このインタビューは2019年1月16日に行われたものです。

聞き手:笹山 祐子(国際文化会館企画部)
インタビュー撮影:相川 健一
©2019 International House of Japan


その他のインタビュー・対談記事はこちらへ。