【アイハウス・レクチャー】
犠牲者意識のナショナリズムか、記憶のための連帯か:東アジアの歴史和解

本イベントは終了しました。レポートはこちら

 

 

  • 講師:林 志弦(西江大学校 教授)
  • ディスカッサント:トルステン・ヴェーバー(ドイツ日本研究所 シニアリサーチフェロー)
  • モデレーター:足羽 與志子(一橋大学 教授)
  • 日時:7月3日(火) 7:00~8:30 pm (開場 6:30 pm)
  • 会場:国際文化会館 講堂
  • 言語:英語(通訳なし)
  • 参加費:1,000円(学生:500円、国際文化会館会員:無料)
  • 定員: 100名 (要予約
戦後ドイツの「過去の克服」や、アパルトヘイト後の南アフリカにおける「真実和解委員会」など、これまで世界では和解に向けたさまざまな取り組みが進められてきました。そうした試みによる成功や失敗から東アジアが得られる示唆とは――? ヨーロッパ近代史を研究する韓国人専門家・林志弦氏が、ドイツやポーランドなどヨーロッパ諸国との比較を交えながら、東アジアにおける戦後和解と記憶の問題についてお話しします。
それぞれの国が自らを歴史的出来事の犠牲者と捉えることで生まれる「犠牲者意識のナショナリズム」。昨今、世界各地で見られるこの現象は、和解への道の障害となると同時に、東アジアにおける歴史観のすれ違いを理解する鍵にもなると、林氏は訴えます。本講演では、異なる記憶の共存と対話の可能性について考えるとともに、「記憶のための連帯」を通じた東アジアの歴史和解の道を模索します。
林 志弦 イム・ジヒョン (西江大学校 教授)
写真:林志弦
ソウル・西江大学校にて、トランスナショナル・ヒストリー(国家の枠組みを超えた歴史学)の領域で教べんを執るほか、クリティカル・グローバル・スタディーズ・インスティチュート初代所長も務める。民族主義とマルクス主義の比較、ポーランド史、トランスナショナル・ヒストリー、グローバルな記憶などのテーマで著書や論文を執筆。ワルシャワ大学、ハーバード燕京研究所、国際日本文化研究センター(日文研)、フランスの社会科学高等研究院、一橋大学をはじめさまざまな研究機関で客員教授などを歴任し、国際歴史学委員会やNetwork of Global and World History Organizationsの理事としても活動している。
トルステン・ヴェーバー (ドイツ日本研究所 シニアリサーチフェロー)
トルステン・ヴェーバー
東アジア近代史を専門とする歴史学者。ドイツ日本研究所の人文科学研究部部長も務める。ロンドン大学にて修士号(中国研究)、ハイデルベルグ大学にて博士号を取得(日本研究)。主な研究領域は、歴史と記憶の政治を含む近現代の日中関係史。近著に『Embracing ‘Asia’ in China and Japan: Asianism Discourse and the Contest for Hegemony, 1912-1933』(Palgrave Macmillan Transnational History Series、2018年)。『The Palgrave Handbook of State-Sponsored History After 1945』(B. Bevernage、N. Wouters共編、Palgrave Macmillan、2018年)では歴史論争や戦争と謝罪について寄稿している。
足羽 與志子 (一橋大学 教授)
写真:足羽與志子
一橋大学大学院社会学研究科教授(文化人類学)。価値生成と制度、文化政策、紛争、アート、宗教、記憶、表象、モダニティ、グローバリゼーションなど広範囲なテーマにわたって現代文化の研究を行なう。スリランカ、中国および北米、日本を主たるフィールドとする。ハーバード大学、コロンビア大学、廈門大学などで研究員を歴任。著書に『Making Religion, Making the State』(共編、Stanford University Press、2009年)、『平和と和解の思想をたずねて』(共編著、大月書店、2010年)など。一橋大学「平和と和解の研究センター」代表。

レポート


自らを「記憶の運動家(memory activist)」と呼び、国家の枠組みや民族を超えたトランスナショナル・ヒストリーを研究する林教授。今回の講演では、東アジアにおける戦後和解と記憶の問題について、ヨーロッパ諸国との比較を交えながらお話しいただいた。

ナチス・ドイツによるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所でのホロコーストと、広島に落ちた原爆。これらは先の大戦で人類が経験した最大かつ最悪の戦禍だが、林教授によれば、1962年から63年にかけて、平和を訴えてこの2都市間を結んで行われた行進があるという。キューバ危機が発生した1962年に、元陸軍将校で戦後一貫して平和運動にまい進した日本山妙法寺の佐藤行通師らによって組織され、1963年1月27日、奇しくもアウシュビッツ解放記念日に達成をみた「広島アウシュビッツ平和行進」だ。林教授はこの行進を「冷戦構造下にありながら、異なる民族が記憶をもとに連帯する稀有な出来事」であると高く評価した。

この平和行進から55年が経った今、「記憶による連帯」はどのような変遷を遂げたのだろうか。今回の講演の起点をこう語る林教授は、1970~80年代に優勢だった「英雄のナショナリズム」に代わって、1990年代以降は「犠牲者意識のナショナリズム」が先鋭化していると指摘。その理由を「国際社会の関心を集めるためには、無実・無害であると国際的に認識される必要がある」と分析した。また今日、世界各地で犠牲者の数を競ったり、犠牲者のヒエラルキー化・国粋主義化が激化していると指摘。例えば、第2次世界大戦下で300万人のユダヤ人が命を落としたポーランドの一部の人々にとって、国全体の犠牲者数が600万人か500万人かは大きな問題であるとし、その背景には非ユダヤ系市民の苦難がユダヤ系市民のそれよりも軽かったとされることへの抵抗があると示唆した。また、犠牲の国粋主義化については、アメリカ同時多発テロにおける非アメリカ市民がこの出来事の記憶から消されているとの例を挙げた。

林教授はこうした犠牲者意識のナショナリズムには限界があると言う。「記憶というのはゼロサム・ゲームではない。他者の苦しみを認識することで、われわれはより自国の痛みに敏感になれる。さまざまな方向から“記憶”にアプローチすることが、連帯を生むことにつながるのではないか」との言葉とともに、歴史問題に基づく東アジアの和解の道を示した。